City Bus

アジア人差別

文:Amy (仮名)

アート​:"Color" by Kenji Miyazawa

これは私が大学2年生の時に起きた話です。場所は、フロリダ州にあるオカラという街でした。

オカラ市内で開かれた音楽コンクールが無事終了し、学校のあるボカラトンに帰ろうとしている時でした。(学校までバス・電車を乗り継いで片道約8時間という距離)。機内持ち込み用サイズの小柄なスーツケースと共に滞在先のホテルを朝早く出発し、オカラのバス停までタクシーでひとっ走り。自分が乗る予定のバスが到着し、すぐさま列に並び、順番まで待ちました。バスの運転手は、大柄で背が高く、テンガロンハットでも被ればそのまま西部劇に出てきそうな風貌の白人男性でした。そして私の番になり・・・

”バスチケットと、身分証明書をご提示ください。”

私は、写真付きの自分の学生証を提示しました。すると、運転手はこう言いました。

”これは、偽物の学生証だろ?本物の学生証にはちっとも見えないね。”

もちろん私は反論しました。これは正真正銘の学生証で、写真付きの身分証として今持っているのはこれしかない、と。そして今回オカラに来る前に、自らアムトラック(アメリカでの長距離旅といったらこの会社)のカスタマーセンターに電話をして、学生証だけでも大丈夫だと確認したということも伝えました。

すると件の運転手が再度カスタマーセンターに電話を入れます。

”今アジア人の子供が、学生証だって言って身分証を提示してきたんだけど、これは許せるのかい?しかもこの学生証、いかにも偽物のようなんだ。クレジットカードのように見えるし、これは信用できない。これはもう乗車拒否という形にしてもいいかい?"

私は泣きながら、このバスを逃したら学校に戻ることができないと必死に訴えました。でも運転手は全く聞く耳を持たない様子。そして一向に離れようとしない私の態度に段々と腹が立ってきたのか、こう怒鳴りました。

”アジア人ってのは、偽物を作るのが得意な人種だろ!偽物は全て中国から来ている、そんな嘘つきのアジア人の言うことなんか、信用できるわけがないさ。”

バスの発車時刻は予定より30分以上過ぎていました。他の乗客も、早くバスを出してくれと焦っている様子。一度バスのドアが閉められ、運転手が出発させようとします。私は泣きながら、バスのドアをガンガン叩き、やっと運転手が諦めたのかドアを開けてくれました。

これでやっと無事に帰れる・・・とホッとしていた矢先に

運転手はバスの車内放送で、

”⚠️緊急連絡⚠️です。このバスに、現在身分証明書を持っていない怪しいアジア人の女の子が乗っているので、皆さん十分にご注意を。何か起こったら、乗客の安全のため直ちにバスを止めさせていただくので、ご理解とご協力をお願いいたします。”

無実なのに、まるで私が悪人、汚いものであるかのように扱われ、周りの乗客はこちらを白い目で見てきます。一般的に日本人は、海外では信用されるなどという言説は関係ありません。黄色人種は全て一括りに「アジア人」とされ、見た目の肌の色だけで全てを勝手に判断されてしまうこともあるのです。

そして、さらに運転手はアムトラック本部に電話をかけ、わざと私に聞こえるように大声で話を重ねました。

”このバスを降りたら、次に○○駅でこの怪しいアジア人の女の子が電車へ乗り換える予定だ。十分彼女に気をつけるように。次の電車にも乗せるなよ、彼女は偽物の身分証を持っているからね。” 

バスでの地獄の1時間が終わりました。そして、運転手は私が降りる際に、

”いつあんたの嘘がバレるかね、せいぜい頑張るように”

という言葉を残し、その場を去っていきました。私は、とにかくこの運転手が憎かった・・・。そして黄色の肌というだけでなんでこんな目に遭わなくちゃいけないのかと、自らの無力さに失望しました。

そして予想通り、乗り換えの駅のチケットカウンターで、早速駅員に止められました。確かに、私の通っていた大学は小規模な私立大学だったので、知っていない人がいてもしょうがないのでしょうが、アジア人という理由だけで話を聞こうとしない、誰も助けてくれない・・・この時ほど孤独を強く感じたことはありません。

駅員への説得は30分以上続き、流石にもう諦めそうになった頃に・・・突然、横から黒人の女性が会話に割り込んできました。

”ああ、私の息子も彼女と同じ大学に通っていたよ。この学生証は、息子のものと全く同じ形だし本物に決まっているじゃないの。いい加減に、彼女を信じてあげなさい”

と一言。彼女がそう言い放った途端、駅員はすぐに私をカウンターの先に通してくれました・・・。もしかしたら、彼女の話こそ、この光景を見るに見かねて、私を助けるための「優しい嘘」だった可能性は存在します。

その後、駅のプラットフォームに無事に着いたものの、電車が事故のため4時間も遅延しており、学校に着いた頃には精神的にも体力的にもクタクタでした。そして、私をこの悲惨な状況から救ってくれた素敵な女性のことは、ずっと忘れません。